地震を振り返る

chiss4122011-04-21

3月11日の地震東証引け10分少し前くらいに発生し、皆引けに向けての処理に追われているさなかに発生した。ファストマネーの一部が残り数分というところで売り注文を出したという話も聞いたが、電話が鳴りっぱなしで新規の注文の確認作業で忙殺というわけでもなさそうだった。だが、地震直後で居なくなるもの、引け直後で脱出したもの、引け30分で帰るものなど、みなそれぞれの行動をとった。オフィスの内部に留まる方が安全であるとの判断がなされたが、帰宅に関しては自己判断とされた。
P波で発動される緊急地震速報の不気味な音は見事に揺れが始まる前に到着してはいたが、まあどれくらいのものかと高を括っていたが、実際に揺れ始めるとそれは想像以上に大きくそして長かった。
トレーディングフロアは3メートル程度の高い天井の部屋で上には蛍光灯とあと謎のガラスの仕切りが天井から30センチくらいあり、それが落ちてくるのではと気が気で無かったのを記憶している。
事前に配布されていた緊急用袋にはヘルメットが入っていたため、皆かぶったり机のしたに電話の受話器を持ったまま隠れながら話したりと、それぞれ引け10分前と強烈な地震の現実をなんとか両立しようと頑張った。
日本株の部署は3時の引け後約定処理を済ませれば5時くらいには業務を終了できるが、我々の部署はそうもいかず、また顧客も非難せずにオフィスに居り、なんとか無事に当日の業務を遂行しようとしてた。こんな中ブローカーだけが帰宅するのは現実的には厳しい。

結局7時に業務を閉め、電車も地下鉄も止まっている中、徒歩で帰宅することとなった。同じ方面に帰る同僚数人と連れ立って、中央通りから銀座、新橋と帰宅したが、歩道も車道も満員だった。半ば諦めたのか喫茶店には謎にくつろぐ人々。居酒屋や焼き肉店には地震など無かったかのように飲み食いする人が居て、肩やヘルメットとリュックをかぶって徒歩帰宅している我々との間に非常に大きなギャップがあり、どちらが現実でどちらが映画なのかというような隔たりがあった。どちらも現実なのだが。

まちの小さな自転車修理屋にも自転車を買い求める人が散見され、家電量販店では携帯充電器、充電ケーブル、電池、震災グッズなどが放出されるが需要に追い付かない状態となっていた。

タクシーは皆営業を停止し、回送状態でそれぞれが帰宅の路についており、唯一運行していたバスには数十メートル規模の列ができていた。吉野家はご飯だか肉だかの店舗在庫が切れたのか、ご飯が炊けてないのかで売り切れに。すき家では持ち帰りに20人の列が出来ていたが、30分待ちとのこと。コンビニでは食料品関連は完売で、カップ麺のマイナーなミニカップ、豚麺とかが少し残っている程度。これも翌日には完全にはける。この時点ではビールなど酒類、水やお茶などは残っていた。その後水が不足し、続いてビール類が不足し始めるのだが、、

外資系のうち、欧州系などを中心に避難して手薄になったところに、手じまいの売り需要とボトムフィッシングの買い需要が交錯し震災から数日間は記録的に注文量が多かった。