チャングムの官位

chiss4122006-07-06

聖徳太子の官位十二階ではないが、李氏朝鮮にも官位があり、正一品から従九品まであったようだ。チャングムの身分の変遷を見ていくと、まず白人(ぺクチョン)で産まれ、トックおじさんの家で中人(チュイン)となり、女官になった時点で従九品が与えられる。ハン尚宮の手伝いで上級女官になったが結局尚宮になれず、奴婢に。その後医女試験に合格したので医女にはなったが、あくまで官碑だけど奴婢(ノビ)だった。
だが最後には医女として功績を認められ、中宗王によって官位を与えられるに到る。「医女チャングムに従九品参奉(チョングプム チャンボン)に命ず!」と中宗王が言うと、赤服の大臣たちが、「国の根幹を揺るがす一大事〜、どうか〜お考え直しを〜〜」と迫る。するとキレた王が「ではその上の、従七品 直長(チョンチルプム チクチャン)に命ず!!」と応酬。最後には「ではその上の、従六品 主簿(チョンユップム チュブ)を命ず!!!」と宣言。で、最後の最後に「正三品堂上官(チョンサンプン タンサングァン)の地位相当する大長今(テジャングム)の称号を授け、王の主治医とする」と経国大典に載っていない称号を与えられる。でも最高尚宮に臨時で就任した段階で官位を貰っている気がするのだが、、


さて一方チャングムの周囲はというと、ミン尚宮は正五品 尚宮(チョンオプム サングン)でヨンセンは従四品 淑媛(チョンサプムスグォン)、閔政浩(ミンジョンホ)は同副承旨(トンブスンジ)の役職で赤服を着ていた。この役職は正三品堂上に相当するのでチャングムと同じ位ということになる。チョンホ様の上役だった左賛成(チャチャンソン)は役職名で、実際の名前は不明。最後はオギョモと同じ右議政(ウイジョン)になってる。チョンホ様の遍歴はまず金鶏の時に『漢城府判官』、その後『内禁衛 従事官(ネグミ チョンサガン)』、で済州島の水軍の長官、で宮中に戻って『司憲部(サホンブ)の監察官』、『同副承旨(トンブスンジ)』と兼任で『内医院の副堤調(ネイウォンのプジェジョ)』となかなかエリートコース。


李氏朝鮮 Wikipedia
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/chohsenkanshokuhyoh.html
人物相関図
http://leeyoungae.her.jp/dae_relation.htm